sisosuseのブログ

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「最小限」ってなんだろう─ミニマリストについて─

ミニマリスト。最近話題ですよね、多分。最小限のもので暮らす人のことを言うそうです。確かに家を見渡してみれば、いらないものがたくさんあるような気がします。しばらく着ていない服、一度しか使ったことがない調理器具や調味料、もったいないから取っておいたが一向に消費しない付録類、何かを入れるかもしれないと思って捨てていないちょっときれいな箱などなど。

 

「いらないもの」を探していると、「最小限のもの=いるもの」ってなんだろうと思ってきます。人はものを食べないと生きていけないので、食糧は必要ですよね。と言ってもスナックやちょっとお高い調味料はどうしても必要というわけではないような気がします。いや、それをいうからには砂糖や蜂蜜もいらないのでは?他の炭水化物で十分なエネルギーは得られるでしょう。そもそも人間、狩猟採集生活していた時は白いお米なんて食べられなかったでしょうし、お肉も貴重なものだったと思います。人類史のほとんどが狩猟採集生活。その中でも強く生き延び、種を存続させてきた訳ですから、我々、栄養失調には強いはず。実際三日三晩飲まず食わずでもなんとか生きることはできます。

 

と、そもそも何にとって「最小限のもの」なのでしょう。生きるため?だとすれば何歳まで?それとも人生を楽しむためでしょうか?だとするとゲームが人生の楽しみだというミニマリストにとって、ゲームが終わるまでの期間以上の食べ物は不要ですね、、ゲームとそれをクリアするまでの時間とその時間生きるための食糧があればいいわけです。ミニマリストになるには、まず自分にとって人生とは何かという難題に立ち向かう必要がありそうです。

 

さて、ここでは無難に75歳くらいまで元気に生きることが目標ということにしましょう、、と話を前に進めた途端、また訳がわからなくなってしまいます。どうすれば「最小限」になるのかがわからないのです。未来のことはわからないのですから。50歳で癌になるが、克服して、しかし66歳で再発。それでも近未来の最新医療で完治する。しかし不幸にも交通事故で73歳にして惜しくもこの世を去る。などとわかっているのなら「覚悟」を決めることができますが、あいにくこの世界はまだ一巡目です。病気に備ええて保険に入ることは必要なのか、1日に炭水化物をどれくらい摂取すればいいのか、今のところ必要ない衣服や調味料が本当に必要ないのか。不確実なことへの対処法の一つとして多様性を確保することが挙げられますが、多様性を確保することは将来のために必要なのか、そうだとすればどの程度確保すれば良いのか。途端に一度使ったきりの調味料が財宝に見えてきました。

 

まあ、現実的にはなんとなく今、現段階で不要なものは捨てて、もし必要になったら買い直す、ということになるのでしょう。ただ、持っておくことのコストがさしてかからないのであれば、別のところに整理整頓してとっておくというのが、多様性の確保という点で無難な選択のような気はします。

、、、ミニマリスト、「最小限者」というのはどうやら誤解を招く言葉のようです。最小限の生き方なんてものは将来を知っていないとできないのですから。信念と矛盾した生き方をする人という響きさえ感じ取れてしまいます。レシスト(lessist)、「少なめの者」が正しいような気がします。

 

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