sisosuseのブログ

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ジョジョリオン感想─定助の呪いについて─

前回に引き続き、「全ての呪いが解けるとき」について、今回は定助の呪いについて、思ったことを書いていこうと思います。というのも定助も東方家と同じように、「呪い」に苦しめられた一人だからです。

 

透龍君に「ソフトアンドウェット Go Beyond」 を命中させ、瀕死の傷を負わせることに成功した定助。救急車にでも乗ってきたのでしょうか、透龍君を倒し終えた後の東方邸に現れるやいなや、憲助に取り憑く厄災をまた「Go Beyond」で吹き飛ばし、憲助の命を救いました。やはり主人公として、呪いを背負う一人として、厄災を払うこのコマは重要なシーンだったと思います。

 

では定助が背負っていた呪いとは何だったのでしょう。一言で表すと、それは「想い出」ではないでしょうか。27巻でのキーワードとも言える「想い出」、「想い出」とは記憶、特に思い出すたびに心が温まるような幸せな記憶をいうことが多いでしょう。そんな「想い出」がなぜ呪いなのかというと、それこそ定助を縛り付けていたものだったからです。

 

定助は「想い出」を探し求めてきました。自分は何者なのか、土の中からの記憶しかなかった定助はその答えを過去に見出そうとしたのです。しかしその答えは残酷なものでした、、記憶が「戻る」ことはないとわかったのです。それでも定助はホリーさんの病を治すために行動することを過去の証明とし、一応のアイデンティティとしていました。

 

そんな定助にも転機が訪れます。23巻、院長を攻撃するために病院に運び込まれることに成功した定助は、意識のあるホリーさんと再開します。実の息子と間違えたのか、意図してか、ホリーさんは定助のことを「吉影」と呼んでいました。定助を思いやるホリーさんから愛を感じた定助。今までホリーさんのためとは言いつつ、吉影の頃の記憶がないまま、吉影のように行動することには何か違和感を感じていたでしょう。ホリーさんが自分を知っている、自分を思ってくれている、それを実感した時、定助はついに過去の存在を証明することができたのではないでしょうか。

 

過去の存在の証明によって、記憶が存在しないことを肯定できた。記憶がなくとも過去は確かに存在した。定助に「想い出」はもはや必要なくなったのです。つまり「想い出」という呪いから解放されたということです。正確には「想い出」がないことへの否定的な思いを払拭し、今の自分を肯定できたわけです。自分は何者でもない存在であり、そしてそれで良いと自分を認めることができたのでした。

 

Go Beyond の発現はまさに存在しないけれどもそこにある、定助の自己認識そのもの、「心の形」を表しているのです。Go Beyond は、生まれたばかりの定助のふわふわと浮遊するシャボン玉とは異なり、星のあざから出てまっすぐと飛んでいく。それが病院の壁を突き抜け、その軌跡を光が照らす26巻のあの一コマは非常に象徴的だと感じます。

 

ちなみに、定助のスタンド能力は節目節目で変化していますね。特にダモガン戦の過去編のあとはシャボン玉が爆発するようになりました。これは自分の吉良の成分を自覚したことによるのでしょうが、過去編は定助にも共有されていたのでしょうか、それともダモガンの頭の中の話なのでしょうか?後者だとすると、過去編が定助のスタンドの変化を促したことにはなりませんよね。そもそもダモガン戦はどちらかというと吉良ではなくジョセフミに焦点が当てられていました。であれば、定助は自分のジョセフミの成分を意識したことで、吉良の成分を捉え直した、と言うことでしょうか、、。そういえばシャボン玉が糸の回転であると言う設定が加わったのもダモガン戦後(アーバンゲリラ戦後)ですね。

 

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ジョジョリオン感想─東方家の呪いについて─

ジョジョリオン最終巻、読みました。まあ、、首飾りをかけた赤ちゃんとか壁の目については結局分からず終い。物語を思い出してみてもスタジアムに行くとか行かないとか、学校に行くとか行かないとか、矛盾だけを残していったカレラとか、色々ととっ散らかった印象は拭えません。ですがやっぱり最後は綺麗に締めてくれました、、荒木先生にはお疲れ様でしたと言いたいです。今回はその締めの部分、「全ての呪いが解けるとき」について思ったことを書いていこうと思います。(第9部:ジョジョランズ?とランズとつくあたり、次で壁の目とかについて言及があるかもしれませんね、楽しみです)

 

さて、「全ての」呪いが解けるといっているのですから、そこに呪いは複数あったと捉えるのが自然でしょう。ではどんな呪いが誰にかけられていたのでしょうか。定助や東方家、康穂などの登場人物がいますが、今回は東方家に焦点を当てようと思います。

 

東方家にかけられた呪い、一つにはつるぎの石化病があるでしょう。最終27巻で花都がカードからつるぎを取り出す際に、それを「家族の呪い」と表現しています。実際、石化病を治すことはジョジョリオンの主題の一つだといえます。常敏も憲助も手段は違えど、その目的は一致していました。

 

その病を治すには、誰かが生贄にならなければなりません。4代目憲助の時はその母親が、常敏の時は花都によってサマーキャンプの男の子が交換されました。つるぎの病もまた、花都が透龍君になすりつけることで解かれましたね。

 

しかし花都の言う「家族の呪い」とは単に石化病だけのことを指すのでしょうか。石化病が東方家にもたらしたものは、つるぎの苦しみだけではありません。つるぎの前は常敏がその病にかかり、それを助けようと花都は殺人を犯してしまいます。それが憲助と花都・常敏の仲に深い溝を生む元ともなりました。「家族の呪い」とはそうした家族の分裂も含んでいるのではないでしょうか。

 

家族の分裂、それは憲助と常敏との対立だけではありません。同じ家族だというのに、石化病をめぐる争いに一向に関わらない大弥や鳩、常秀。そこにははっきりとではないけれども何か心の壁があるような気がします。言い換えれば「個人」の尊重でしょうか、、家族の分裂もまた「家族の呪い」と言ってもいいと思います。上の3人がストーリーに絡んでこないのは、実はこうした荒木先生の意図があったのかもしれません、、花都の「家族の呪い」発言はこうしたストーリー全体を俯瞰した、ある種のメタ発言とも捉えられそうです。(、、少し無理がありますかね)

 

さて、この分裂(呪い)も最後には修復された(解かれた)ようです。27巻最後の1コマがそれを表しています。そこには定助を迎え入れた東方家が一つのテーブルを囲って憲助のために、そして新しい家族のためにケーキを選ぶ家族の姿が描かれていました。呪いが解かれてマイナスからプラスへ、払った代償は大きいけれども、東方家は一歩踏み出したのです。

 

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